大阪ゴー宣DOJO1日目に言及があった「中国文化大革命」とは、どういうものだったのか?
ランランさんが祖父母たちから聞いていた、貴重な体験談をご覧ください!
皆様、こんにちは!公論サポーターのゲリラ工作員もどきしている普通の婦女子、ランランと申します。
今回は、今は生き証人が減って話を聞くのも難しくなってきた文化革命の体験と当時の空気感を、黄泉路にいる祖父母達から、体験話を引っ張り出してご紹介したく思います。
一般に文化革命とは、中国の1966年から1976年の間の出来事で、当時の政権交代、初代首席の毛沢東が一度政策の失敗で失脚したあと、2代目首席の劉少奇に権力闘争をふっかけ、大衆を巻き込み、大規模な運動、文化破壊活動とも言える動きを指します。
当時、祖父母は劉少奇の派閥におり、(祖母は林彪派閥?または中間。)幹部の一人として働いていました。
劉少奇が失脚する前はそこそこ仕事も生活も良かったそうです。劉少奇は毛沢東のガチガチ社会主義ではなく、バランスとれた政策で経済もマシになり、当時は人気がありました。
しかし、権力奪還に燃えた毛沢東は水面下で、劉少奇の思想に反対、または理解が難しい大衆を取り込み、大衆の不満・不安・妬み・嫉妬を昨今の某雑誌、よろしくが如く煽りに煽り、大衆大動員で劉少奇に仕掛け、劉少奇を蹴落としました。この時、毛沢東は学生を自分の歯車として狙い、少数民族の張承志と言う学生さんを取り込み、紅衛兵を立ち上げました。
紅衛兵は言わば、毛沢東が率いた学生運動のグループで、毛沢東直属の子飼いの腐った犬です。(失礼。)
彼らは毛沢東万歳、それ以外は許さん!思想改造してくれる!他の人の話は聞きたくないし、聞くとヒステリックに批判し、自分の個を持たず思考停止し、周囲の同調と連帯感に酔うという人達です。(日本にも似たようなモノがいるような気がします。)
祖母いわく、ある日普通に祖父達が仕事していたら、急にドカドカと紅衛兵が祖父達幹部を取り囲み、”貴様らは思想犯だ!思想改造教育が必要!”と殴り込まれたそうです。祖母はおそらく文句を言ったのでしょうか、上が軍に入れ、祖父と見合いさせたくせに紅衛兵達やその上に日本帝国軍のスパイだと祖父とともに牢屋にぶち込まれたそうです。(理不尽!)
で、何やられたかと言うとかいつまんで言いますと、牢屋では思想改造の名のもとの思想洗脳の懺悔と罵倒され、紅衛兵らしきモノに殴られたり、ムチで打たれたり、爪に竹串をさされたり、熱々の何かを当てられたりされたとか、聞き及んでます。要は戦争映画で国民党(悪党)がやったことをそのまんま、トレースした感じだそうです。
ここで終わりなら良かったのでしょうが、まだ彼らは手を緩めません。自分達より階級が上の人や、知識階級の人達を普段鬱屈した妬みや嫉みを燃やし、重労働施設に飛ばしたり、炭鉱送りをしたとか。
人間、とことん残酷になれるなと感じた次第です。
それから文化施設や仏像など破壊しまくり、それは毛沢東が死ぬまで続いていました。その後、鄧小平があわてて終結させたと言う事です。
祖父母の体験話が皆々様の糧になれれば、幸いです。
また、日本でも既に戦時の話を聞ける方々も鬼籍に入って久しい中、もし身近の方々からまだ昔話を聴けるなら、今のうちに後世の生きる糧として皆々様も話を共有頂けましたら幸いです。
人間、不満や嫉妬を晴らしたいという感情を「正義」で粉飾して煽動されたら、どんな残忍なことでも嬉々としてやってしまうということが露わになったのが、文化大革命でした。
それは決してあの時代の中国だから起きたことではなく、これからの日本でも十分起こりうるということを証明しているのが、週刊文春とそれに踊らされる大衆です。
しかしこういう警告も、「文化大革命」を知らない人には全く届きません。
史実を例に出して「正義」に酔った人間の危うさを説こうにも、「文化大革命」を出しても「連合赤軍」を出しても話が通じなくなり、そのうち「オウム真理教」を出してもわからなくなって、再び愚行が繰り返されることになるのでしょう。
それを防ぐには、歴史に目を向ける人を増やしていくしかありません!